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★ ワインのカンパーニア地図
Campania
DOCG 3
DOC 17

| Vini DOCG DOCGワイン |
1.タウラージ
Taurasi
10.フィアノ・ディ・アヴェッリーノ
Fiano di Avellino
12.グレコ・ディ・トゥーフォ
Greco di Tufo
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| Vini DOC DOCワイン |
2.アリアニコ・デル・タブルノ
Aglianico del Taburno
3.アヴェルサ
Aversa
4.カンピ・フレグレイ
Campi Flegrei
5.カプリ
Capri
6. カステル・サン・ロレンツォ
Castel San Lorenzo
7.チレント
Cilento
8.コスタ・ダマルフィ
Costa d'Amalfi
9.ファレルノ・デル・マッシコ
Falerno del Massico
11.ガッルッチョ
Galluccio
13. グアルディア・サン・フラモンディ
またはグアルディオーロ。
Guardia Sanframondi
o Guardiolo
14. イスキア
Ischia
15 ペニーソラ・ソッレンティーナ
Penisola sorrentina
16. サンニオ
Sannio
17. サンタアガタデゴーティ
Sant'Agata de' Goti
18. ソロパーカ
Solopaca
19. タブルノ
Taburno
20. ヴェスーヴィオ
Vesuvio
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![ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスヴィーオ・ロッソ[2002] マストロベラルディーノ](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/yuhara/img128/img10442366761.jpeg)
ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスヴィーオ・ロッソ[2002] マストロベラルディーノ
![ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスヴィーオ・ビアンコ[2003] マストロベラルディーノ](http://image.rakuten.co.jp/wshop/data/ws-mall-img/yuhara/img128/img10442366780.jpeg)
ラクリマ・クリスティ・デル・ヴェスヴィーオ・ビアンコ[2003] マストロベラルディーノ

16世紀からの歴史を誇る造り手が醸す、個性的フルボディ!!マストロベラルディーノタウラージ・...
カンパーニアについて
イタリア半島南部、アドリア海に面した小さな州。その大きさは約13600平方
キロメートル(因みにシチリアは25700平方キロ、プーリアは19400、滋賀県
は4017)。
北はラツィオ州、北西はモリーゼ州、東はプーリア州、東南にバジリカータ州と
接している。
西のアドリア海全海岸の長さは、461.2km。全土の34.5%が山
50.8%が丘陵地。14.7%が平地。
気候は、アドリア海沿岸部と較的低い丘陵地では温暖な気候で、冬が穏やかで零下まで
温度が下がることがほとんどない。夏も比較的涼しく、乾燥しており、これが農作物の耕作に
適している。
内陸部に入ると寒暖の差が激しくなり、緯度の低い土地の大陸性気候といえるほどに
寒くなる。降雨量は特に沿岸部に少なく内陸の山間部で豊富な降雨量が記録されるが、
平均的に1000ミリ以上を記録することは珍しい。秋から冬にかけて良く降り、春と夏は
ほとんど降らない。
◎ カンパーニアワインについて
地中海性気候のイタリアワイン産地の中でも白ブドウ品種にヴァラエティーの富んだ
土着ブドウが多いのがカンパーニア州であり、そのヴァラエティーの豊かさと質の高さも
傑出したものを持っています。
赤ワインには長い間南イタリアの唯一のDOCGとして君臨したタウラージがあります。
アリアニコのポテンシャルの強さ、深さをまざまざと見せ付けるという意味で現在でも
南イタリア赤ワインの最高クラスであることに変わりはありません。
もう一つのカンパーニア州の特徴として特筆すべき点は、外来品種を寄せ付けない
地方意識の強さです。最も先進のワイナリーとして知られるフェウディ・ディ・サン・グレゴリオ社に
しても、ほとんど外来品種を使用していません。
DOC認可のブドウ品種として外来ブドウが入らないということは現在の
イタリアワイン界では非常に珍しいことです。それほどまで、古来からブドウに
親しんできた歴史と、そのワインへの誇りのの高さがあるからです。
◎ 固有ブドウ品種
(白) コーダ・ディ・ヴォルペ種、
ファランギーナ種
フィアーノ種
グレコ・ディ・トゥーフォ種
ビアンコレッラ種
(赤) アリアニコ種
ピエディロッソ種
◎ 優良ワイナリー
まず大御所から。カンパーニア州の強い土着性の根幹を築いた
ワイナリーとしてマストロベラルディーノ社の功績は第一に挙げるべきでしょう。
そして、その土着性から国際性へと90年代に質的なソフィスティケートに
大成功を収めたのが前述のフェウディ・ディ・サン・グレゴリオ社。
そうした伝統的なものに真っ向から対立する国際派としての
モンテヴェトラーノ社。イスキア島の孤高のワイナリー!ダンブラ社
、
近年の成長目覚しいヴィッラ・マティルデ社、カンパーニア州南部
チレント地区の協同組合ワイナリーから発展したデ・コンチリス社や
ブティックワイナリーとして存在感を示しつつあるルイージ・マッフィーニ。
どのワイナリーのワインを試しても充実した時間が過ごせるでしょう。
◎ ヴィーニ・ディターリア 2007 ガンベロロッソ より抜粋
ワインにおけるカンパーニア州の歴史が保持してきた役割は美しくも
難しいものである。イタリア系民族の醸造の原点というものがここに
あると言えるが、サムニウム族の大地は21世紀のブドウ耕作と
醸造にいざなう旅においては「偉大なる遅刻者」と言わざるを得ない
。かつての皇帝達の宴会から今日の目覚しい発展に至るまでの
2000年の「空白」と、人間と土地に根ざした、まだ15回しか
収穫を経験していないであろうカンパーニアの歴史にはまだ時間と
忍耐が必要と言える。
それでも数少ないワイナリーとはいえイタリアにおいて比類のない
成長をみせたワイナリーがある。彼らはたった3年の間にトレ・ビッキ
エーリの数を倍にし、最終選考に残るサンプルは実に4倍にした。
それは、平均的とも言えないレベルのヴィンテージで、大きなワイナリー
から極小のワイナリーを巻き込んだムーヴメントである。その電車の
先頭車両にいるのは疑いもなくイルピーニアのワインである(赤は
アリアニコをベースにした厳格なタイプ、白は厳格でミネラルに
富んでいて、せっかちな生産者、レストラン経営者、消費者からは
よく敬遠されてきた)。
前号でワイン・オブ・ジ・イヤーを獲得した赤ワインをリリース後、
アヴェッリーノ県は、もう一つの「別格」ワインを我々にプレゼントして
くれた。モンテフレダーネ村のピエトラクーパ社の花火師
サビーノ・ロッフレードが手がける、ステンレスタンク熟成のフィアーノ種
のセレクト、スペシャルなワイン・オブ・ザ・イヤーというべき
「イル・クーポ05」がそれである。
またイルピーニアのブドウ品種にとって素晴らしい収穫年もあり、
前号に引き続きトレ・ビッキエーリを受賞するフィアノ・ディ・ア
ヴェッリーノ「コッリ・ディ・ラピオ05」.初受賞は小さくて大きな
古典派フィアノ・ディ・アヴェッリーノ「ヴィーニャ・デッラ・コングレガ
ツィオーネ04」、そして同時受賞のフィアノ・ディ・アヴェッリーノ
「ラディーチ05」。
このエレガントさとミネラル感に富んだワインは、アトリパルダの
歴史的ワイナリーマストロベラルディーノの作品で、
「タウラージ・ダディーチ・リセルヴァ00」でもセンセーショナルな
賞賛を勝ち取り、同リセルヴァ99の古典性を滲み出させた。
また尋常ならぬカップルは、10年にも満たない間に評価を
ゆるぎないものとしたフェウディ・ディ・サン・グレゴーリオ社の
「パトリモ04」と「セルピコ04」で、トータルで17回の受賞と
なる。
サルヴァトーレ・モレッティエーリのタウラージ・リセルヴァ・
チンクエ・クエルチェの2度の連続受賞はもはや驚きではない。
しかし、カンパーニアはイルピーニアだけではない。
サンニオがその復活ののろしを上げれば、カゼルタ件も新しいスペースを
開拓しようとしている。ヴィッラ・マティルデのコンパクトなチームがファレル
ノ・デル・マッシコ カラッチ04で素晴らしい結果を出せば、テッラ・ディ・
ラヴォーロも圧倒的な実力を見せる。チレントからコスタ・ダマルフィに
いたるサレルノ県では新しい動きに精彩は見られないが、その代わりに
ヴェテランたちの活躍はまるでギアーをターボに入れたかのようだ。
モンテヴェトラーノ04はその完璧な肉体を具現化し、マリーザ・クオーモは
フオルドゥーヴァ05で実力を確実なものにしている。ルイージ・マッフィーニは
表現力豊かでモダンなフィアノ・ディ・アヴェッリーノ ピエトラインカテナータ04で
一躍トップクラスに躍り出ている。
カンパーニアの料理
二つの対立する「ソウル」が共存するのがカンパーニア料理の特徴と
言えるでしょう。一つは、ピッツァに代表されるような、貧しい農民、
漁師たちの料理としてのクチーナ・ポーヴェラ=庶民料理。
もう一つは、サルトゥに代表されるようなナポリの歴史を紡いでき
た統治者達(ローマ人、ギリシャ人のからスペイン人、フランス人、
オーストリア人にいたるまで)のクチーナ・アリストクラティカ=
貴族料理です。
その中で常に主人公となりえるのは、パスタ料理です。
乾麺としてのスパゲッティやペンネなどの工場製品は
ナポリ郊外が発祥の地です。様々な形が考案され、ソースとの
ヴァラエティーに富んだ味付けが、料理人の想像力によって生
まれてきました。
マカロニ(イタリア語ではマッケローニ)、ラヴィオリ、カンネッローニ・・・・ナポリが
その発祥の地です。また海の幸のなら、ヴォンゴレのヴェルミチェッリ、溺れダコ、
ムール貝のコショウ風味、スズキのアックア・パッツァ、スープに、ミックスフライ。
あまり知られていませんが、ナポリの典型的なソースに「ミートソース」も
欠かせませんし、内陸部なら豚や羊、山羊料理、サラミなども豊富です。
本日のカンパーニア料理
「溺れたタコ」 polpi affogati
材料 タコ 1kg
エクストラ・ヴァージン・オイル 100g
フレッシュトマト 500g
オリーブ&ケッパー 70g
にんにく 3かけ
パセリ、またはオレガノ
塩、コショウ
タコは、特に目を取り除くことを忘れずに、よく掃除して、皮はそのままで、
比較的背の高い鍋にダイス状に切ったトマト、塩、コショウ、にんにくと
ともに入れ、30分ほど煮込みます。
サービス温度はぬるめで。
お好みで、オリーブ&ケッパーとパセリの組み合わせか、オレガノで風味を
豊かにします。
カンパーニアの歴史
「カンパーニア」の名前は、サムニウム族と同系のオスキ族が住んでいた
カプア周辺の肥沃な平地を指していました。Kampanon-Kampanos という
この名前の最古の遺品はオスキ族の硬貨に記されています。
ローマ人はソレント半島より北の地域をアグロ・カンパーノAgro Campano と
呼び、その肥沃さを賛辞して カンパーノ・フェリックス Campano Felix
(“幸運な“の意)という呼び方もしていました。カンパーニアが今の領域を
指すのはイタリア統一以後のことです。
人類が住み始めたのは旧石器時代でティレニア海沿岸部から内陸に
かけて、特に青銅時代の居留区域が多く発見されています。
ギリシャ人は最初ピテクーサ(イスキア)に居留区を作り、その後すぐに
沿岸部に街を建てていきます。
パルテノペ(紀元前680年)、ネアポリス(紀元前470年)、
ポシドニア(現パエストゥム、紀元前600年)など。一方、
エトルスク人による植民地化は内陸部で進みます。
ギリシャとエトルスクの衝突はクーマにおいて紀元前524年と474年に
起きギリシャが勝利を収めますが、この戦争は二つの民族のエネルギーを
著しく消耗させることになりました。
この絶好のチャンスを利用したのがモリーゼのアペニン山脈にいた
サムムニウム族で、沿岸部のギリシャ人居留区を次々に制圧していきました。
紀元前5世紀にはカンパーニア地方はサムニウム族の支配下に置かれ
南部はルカーニア族からエノトリ族に取って代わられました。
アウソニ族、オピチ族、エトルスク、ギリシャ、サムニウム・・・これらの
民族が交じり合いによって、オスキ族が生まれ、独自の言語、習慣を
持つようになります。
このオスキ族とサムニウム族のとの争いを利用したのがローマで
、50年間の戦争の末、カンパーニア以南のすべての南部を
制圧することに成功します。
カンパーニア州の「ローマ化」によって、道路が密に整備され多くの
植民都市が生まれます。そして北部はラツィオ州南部とともに
第一州「カンパーニア」、ベネヴェントは第二州「アプーリア」
、南部は第三州「ルカーニア」と分けられ統治されます。
帝政ローマ期に入ると大掛かりな公共事業が展開され発展しますが
4世紀には、カンパーニアの農業はアフリカやスペインの穀物耕作との
競争によって衰退していきます。
蛮族の侵入がカンパーニアの経済を逼迫させ、それに続くゴート族
とビザンチンの戦争はカンパーニアで繰り広げられ大きな被害を被ります。
ビザンチンの勝利により555年には政治的、行政的な統一に
成功しますが、すでに570年にはロンゴバルド族がアペニン山脈より
侵入し、ベネヴェント公国を興します。ビザンチンは海を占有し、
ガエータ、ナポリ、ソレント、アマルフィ、サレルノといった街を城塞都市に
していきます。
カンパーニア州以南の南部を封建制の安定した統治で君臨するのが
ノルマン人でした。彼らはほんの数十年の間にアラブ人からシチリア
までも征服します。
ノルマン人の封建制のその完成された政治行政は当時のヨーロッパに
おける一つの比類のないモデルになりましたが、同時に未来の「南部性」
の根っこを作ることになります。
つまり大土地所有制による領主への依存が強いメンタリティーの醸成で
中北部にある市民としての経済資本とリスクに立脚した自由主義的
メンタリティーの欠如です。
ノルマン人に取って代わったフランス・アンジュー家がその首都を
ナポリに定めることにより都市化が進み、内陸部のアペニン山脈の
町が衰退していきます。
スペイン・アラゴン家の数世紀にわたる支配によってカンパーニア州は
衰退の道を辿り、自治権を失い、スペインへの隷属状態になっていきます。
18世紀のブルボンによる統治によりカンパーニアは自治権を回復し、
カルロ・ディ・ボルボーネによって、カゼルタの王宮が建立されます。
しかしブルボン家は都市部に勃興していたブルジョア階級と衝突し、これが
パルテノペア共和国の設立につながり(1799)、1860年のガリバルディに
よる王国崩壊へと民主化の流れが続いていきます。
イタリア統一以後は、南部の歴史の矛盾点、数世紀にわたって作り上げられてきたものが浮き彫りになり、北部との格差と同時に内陸部の格差の肥大化・・・これが暴徒化、暴力集団の組織化につながり、1880年からは南北アメリカへの移民が増大していきます。しかしながら統一以後50年間は農業を中心に著しい発展を遂げ、50〜60年代には工業をはじめ、あらゆる産業において大きな進歩を遂げていきます。ここ数年で特に浮き彫りになったのは伝統的ともいえる海岸部と内陸部の格差ということができるでしょう。内陸部ではイタリア北部、ヨーロッパ北部への移民による過疎化が深刻であり、沿岸部は失業者が多く、犯罪組織の拡大が懸念されています。
◎ カンパーニアを知るための映画
「昨日、今日、明日」ヴィットリオ・デ・シーカ 「特別な一日」エットーレ・スコーラ
「マカロニ」エットーレ・スコーラ 「イル・ポスティーノ」 マイケル・ラドフォード
「アマデウス」 ミロス・フォアマン
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