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「この人のコメントにはどうしてこう映画の話が多いのだ!」

と半ばあきれてしまった方もいるかもしれない。

ソムリエとして働いていた時代も、お客様と映画の話に夢中に
なってしまい、同僚に随分と迷惑をかけたものだ・・・。

自分の中での映画の位置づけは、

ワインの前にイタリアがあり、
イタリアの前に映画がある


つまり、僕が僕であるという価値は、映画を愛する事によって
その形を成し始めたのです。

あれは中学2年の頃だったと思うけど、だから1980年だな、
大体僕の趣味というものは、他人の真似ばかりだった。鉄道ファン
に始まって、スーパーカー、そこから派生した写真ファン、どれも
これも他の友人から影響を受けて好きになって、そして時間ととも
に飽きて忘れていく・・・。おそらく、自分でも個性的なキャラクター
だとは思わなかったし、友達から見ても「普通」風だったんだと思う。

母親からも「あんたの趣味は友だちの真似ばっかや!」と揶揄された
もんだ・・・・。

その頃、マスコミで話題になっていたのが、

『黒澤明が、「デルス・ウザーラ」から5年ぶり、「どですかでん」から
10年ぶりに日本映画として、ようやく新作を発表。な、な、なんとコッ
ポラ、ルーカス、スピルバーグが製作協力!!』

という「世界のクロサワ」の「影武者」に関する情報で、新聞でも
1ページものの掲載で「公開まであと〜日」みたいな宣伝がされ
ていた。

黒澤明との衝撃的出会い

CMでも頻繁にこの映画「影武者」のPRが行われるようになり
「なんだかすごい映画が来るんだ・・・」
という思いで、マスコミの騒ぎにそのまんま乗っかる格好で
僕もこの映画に興味を抱き始めていた。

そして映画館で歴史的な出会いに遭遇する事になる。

「なんじゃ、この映像美は!!」


影武者

 おそらく黒澤後期のカラー作品の中でも群を抜いて美しいのが
この「影武者」だろうと思うけど、それにしても武田信玄の軍勢が
溶けてしまいそうなほど凄まじい夕焼けの中を行進するシーンは
(淀川長治さんは「エイゼンシュタインかと思った!」と狂喜されて
いる)涙が出るほど美しくて、そのシークエンスを見るだけで僕は
胸が一杯になってしまって、この感動のためには!と映画館に
(当時は彦根協映という廃れた映画館に観にいっていた)、10回
も通ったのだった。

当時はビデオがようやく出始めた頃で、レンタルビデオという言葉
も概念もなかった時代だから一回一回が真剣勝負で、僕は脚本まで
買って、シナリオまで覚えてしまうほどこの映画に惚れてしまった。

黒澤の作品は年代順に全部言えたし、撮影者、音楽、
脚本、キャストまで覚えていた。

今思えば、若気の至りと言おうか、初恋の、それも一目惚れ的な
感覚で前後の見境もなく、ただ「好き!」という気持ちが先行して
ひたすらに黒澤明の世界に浸ろうとして、いろんな評論を読んだり
(「作品も見ないくせに!笑)、原作となる小説を読んだり(黒澤と
出会わなければ僕は一生小説なんか読まなかっただろう・・・)、
まだ見ぬ黒澤作品にワクワクしたものだ。

このワクワク感は、今まだ知らぬワインに出会うときの感覚と
まったく同じだ、変わっていない。

この時の映画に対する憧れや好奇心、集中力は当然、いつしか
「映画監督になりたい」という思いに変わってゆく。そしてマニアックに
なればなるほど、若気の至り決死隊の常で、ハリウッド映画を軽蔑し
ヨーロッパ映画に傾倒していく・・・。

名画座といえば「祇園会館」「京一会館」。

中学3年のときは日曜日の卒業制作の日にどうしても「アラビアの
ロレンス」と「カッコーの巣の上で」の2本立てが見たくて(ナンチュウ
組み合わせや!!)学校をサボって一人で祇園会館に観にいき、
翌日は教室で凄まじいブーイングだったことを今でも思い出す。

しかし、「アラビアのロレンス」の最初の砂漠シーンであの
モーリス・ジャールの音楽が壮麗に響くいたときは鳥肌で死ぬかと
思うほどだったし、「カッコーの巣の上で」は上映中笑いと緊張の
連続で上映終了と共に映画館中が大拍手、そして所々に見られた
カップルが感動でキッスをしあったり、抱擁しあったりしていて、
僕は映画の楽しさのみならず、映画館の楽しさをも体感して
いたのだった。(それにしてもあの時の祇園会館の雰囲気は
最高だった。今思えば、当時の日本には、50〜60年代の映画
黄金時代の名残がまだほんのひとかけらだけ存在していた
のだろう。今では考えられないんじゃないか。子供の「ウルトラマン」
とか、「ドラえもん」ぐらいかな、熱気があるのは・・・)

その頃はっきりと自覚しだした。
「あ、映画好きなの僕だけだ。これこそ僕のオリジナルだ!」


「1900年」へ

「1900年」を考えただけでエンニオ・モリコーネのテーマ曲が僕の
脳裏に流れ、デ・ニーロやバート・ランカスター、ドナルド・
サザーランド、ドパルデュー、ドミニク・サンダ、アリダ・ヴァッリ
などの名優たちの顔が鮮明に浮かんでくる。(映画ファンの方
たちにとっては垂涎のキャスティング!!)

そしてストラーロのキャメラ・・・。

もうため息しか出ないよぉ・・・・



1900年(1.運命の出会い/2.宿命の1900 NOVECENTO

「1900年」は1977年のイタリア・フランスの合作映画で前編と後編
の2部に分かれていて、日本以外の全世界では一部と二部を分
けて公開されたちょっと変わった作品で、イタリアの1901年から
(オペラ作家のジュゼッペ・ヴェルディの死がファーストシーンになる)
1944年のファシズム崩壊までの大河ドラマ。

前編,,後編合わせてで5時間20分ある!

で、前編、後編が初めて一挙公開されたのが日本で監督の
ベルトルッチが狂喜して日本に飛んできた、というエピソードもある。

1983年、確か高校2年のとき、ついにその映画が京都に来た!

「祇園会館」に飛んでいくと、

なんと四条通まで列ができていた!!

休憩を挟んで5時間20分の映画を一気に観た。
もう息つく暇もないくらい(第一部は立ち見だったけど)あっと
言う間に映画は終わっていた・・・・。

殺しの場面が美しい
麦畑が反射する光が美しい
縦横無尽に動きまくるキャメラが美しい
人間の狂気が美しい

エロチックなシーン、えぐいシーンがたっぷり出てくるのに
そこにはヤバイぐらい美しさが漂っていた。

そしてまたラストが全くの意外。
なが〜い時間の流れを扱った映画がその分なが〜くなって
いるわけなんだけど、ラストシーンでその時間の流れが
パッと無化してしまう。(ベルトルッチは「ラスト・エンペラー」でも
同様の仕掛けを作っていた!)

あっけに取られるしかないような驚き!
これこそ映画の魂!!
(詳細はビデオで見てね!)


わぉ!自由だ!!

ベルトルッチだけではない。「81/2」のフェッリーニ、「夏の嵐」「白夜」
のヴィスコンティ、「父・パードレ・パドローネ」のタヴィアーニ兄弟、
「エボリ」のロージなど、高校時代に見たイタリア映画は凄まじい
ばかりの個性的魅力を放っていた。この突き抜けて個性に富んだ
魅力は何じゃ!?というのがイタリアを意識しだしたきっかけ。

イタリア、エエ感じや〜!

他に受かるところがなかった、といえばそれまでだけど、この体験
が引き金となって僕は京都産業大学のイタリア語学科に籍を
置いてしまう・・・・。

本格的にイタリアと付き合いだしたわけだ!!

「よっしゃ!イタリア留学してイタリア語マスターして
イタリア映画に関わる仕事をするぞ!!」

という意志を秘めて僕はせっせとあの山の上の大学に通った。







で、今、イタリアワインのお仕事してます・・・・。


なんでやねん!!

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