![]() 読売新聞の日曜版にヴィーテ・イタリア高岡が登場しました(笑)。 な、なんで映画館のコラムに高岡が??? という方は、是非読んでください!!(^^) 4月10日(日) 読売新聞 日曜版『喝采』よりそのまま抜粋 映画館から、ソムリエが生まれることもある。高岡洋文(37)の 場合がそうだ。 滋賀県から片道2時間近くかけ、京の花街・祇園へ通い始めたのは 中学2年のころ。月に一度、祇園会館の暗闇の中で、2本立て、3本立て を2回ずつ見て過ごすのである。 「イタリア映画」を初めて意識したのは高校2年のとき。タビアーニ兄弟の 『父 パードレ・パドローネ』だった。同じ年、ベルトルッチの『1900年』が 祇園会館で公開される。イタリアの1900年からファシズム崩壊までを 描いた大河ドラマ。飛んでいくと、劇場に100メートル近い行列が出来ていた。 前後編、5時間半近く。満員の劇場で立ち見だったが、息つく暇もない くらい、あっという間に終わった。 大学はイタリア語科へ。イタリアへのあこがれはイタリアワインへの興味に 変わる。ローマのソムリエ協会で1年半学び、資格を取って帰国したのは 96年だった。 京都を代表する名画座・祇園会館には、高岡のように何年も通う常連が 多い。「不思議なお客さんがいてはります」。支配人の山田善夫(52)が言う。 入場してから受付で「この映画、戦争映画?恋愛映画?」と聞く。映画の 内容を知らなくても、とにかくここで上映するものは何でも見るのだ。 オープンは58年。吉原崇社長(79)によると、当初は観光用に花街の 伝統を見せようと、「踊りの殿堂」として建てられたという。桟敷席や花道が あるのはそのためだ。 60年ごろから映画を上映するようになったが、今も毎年11月には芸舞妓 が踊る「祇園をどり」が開かれる。 業界では「祇園会館でかけたフィルムなら安心」との評判がある。届いた フィルムは全巻、ベテランの映写技師がガーゼを手に感触を調べ、どんな 小さな傷でも修復する。 「『二番館だからフィルムが悪い』と言われるのだけはイヤですから』(山田)。 封切よりいい状態で見てもらいたい、と言う。 80年代、「ビデオが出始めると主流だった学生の客が激減。 いよいよダメか、と思ったとき、中高年の客が増えてきた。かつてここで 育った映画ファンたちが、戻ってきたのだ。 ソムリエになった高岡は会社「ヴィーテ・イタリア」を起こし、イタリアワインに 関するセミナーやイベントを手がけるようになった。劇場は忙しくて行けないが 近くを通ると外から中をのぞき込む。 「ここからすべてがはじまったんだなぁ」と思いながら。(敬称略) 小梶勝男 読売新聞の小梶様、素敵な記事を有難うございました!! 祇園会館の紹介にまさか自分が登場するとは思いもよらないこと でしたが、とってもとっても光栄でした。 トップへ プロフィールへ 祇園会館のサイトへ |