
WANDSへの寄稿 2003年
洞窟住居サッシの街マテーラ
バジリカータ州は北東から南にかけては踵に伸びるプーリア州、
北西から西側をナポリ擁するカンパーニア州、南側をつま先部分の
カラブリア州に囲まれ”イタリア長靴の土踏まず”のターラント湾
でイオニア海に面している。
「バジリカータ」の語源はビザンチン総督を意味する「バジリコス」
であるが、現地の人々は共和国建国以前に使われた「ルカーニア」
を好んで使う。
紀元前6世紀にギリシャ植民地時代に内陸部から当地を解放しギリ
シャ人を圧倒したルカーニア人の栄光を偲んでのことだろうか。
実際、リストランテ・ルカーノとかルカーニアIGTなど伝統工芸や
特産品の名前に「ルカーニア」の名を冠することが多い。
州都はカンパーニア州に近い北西部のポテンツァだが、バジリカ
ータ州でもっとも有名で日本でも知られた街といえば、サッシ(洞
窟住居)が幾世紀もの時間をかけて大きな部落を形成した稀有の街
マテーラだろう。
長靴のちょうど踝あたり、踵のプーリア州との境に位置している。

マテーラのサッシ住居群
サッシ住居群の中には貧しい家並みからお金持ちが独自に改修し
た邸宅、ワインバー、レストラン、洞窟教会までその用途は広い。
そしてサッシの中には古来の醸造システムの遺跡が数多く残されて
おり、ギリシャ植民地時代以降のワイン作りの栄華が偲ばれる。
しかしマテーラのワイン産業は戦後の農業政策によって廃れてしま
った。実際、街を一歩外に出ると雄大な麦畑が遥か彼方まで続き、
ブドウ畑はほとんど見当たらない。
アリアニコ・デル・ヴルトゥレの里へ
バジリカータ州のワイン年間生産量は40万HL程で(2001年)
イタリア全21州中17位。DOCも今年6月からテッレ・デッラルタ
・ヴァル・ダグリが新しく認定されたが、それまではただ一つ、赤
のアリアニコ・デル・ヴルトゥレだけだった。プーリアのDOCが
25、カラブリアが12、シチリアでも19あることを考えると
不気味なくらい少ない。
これはポッリーノ国立公園を含んで南西部に大きな山岳地帯があり
耕作が難しいという問題と、ただでさえ枯渇しやすい水資源をプー
リア州に供給しているため、常に水不足に陥っているためだ。
そして戦後の農業政策の転換でブドウ畑の多くが麦畑に改植された
ことも理由の一つである。マテーラ周辺の雄大な丘陵地に広がる麦
畑がもし葡萄畑だったら、もっとたくさんのDOC認定地域があった
だろうと思ってしまう。
ちなみにテッレ・デッラルタ・ヴァル・ダグリは、メルロ、カベ
ルネ・ソーヴィニョンを主体としたトスカーナのボルゲリDOCのよ
うな国際派ラインのワインだが、潜在能力としては全く未知数だ。
囲まれた三つの州に先を走られたバジリカータは世界の耳目この土
地に引くためのアドバルーン的な役割をこの新しいDOCに託している
に違いない。
気温が40度に達する猛暑の中、マテーラを北に出て、80kmほ
ど麦畑の中を車で進む。私はかつてこれ程まで広大な麦畑を見たこ
とがない。穂が風に揺れ動く5月頃はさぞ神々しい風景になろう。
標高が高くなると、薄茶色の麦畑の中にブドウ畑とオリーブ畑が姿
を見せる。彼方には大らかで緑深く、丸みを帯びた休火山のヴルト
ゥレ山(標高1326m)を望む。
そう、ここはポテンツァ県、アリアニコ・デル・ヴルトゥレの生産
地域だ。アリアニコは、その起源をギリシャ植民地時代(紀元前6,7
世紀)にまで遡る品種で、エッレニコ(ellenico=ヘレニズムの意)
が語源。ナポリの内陸部アヴェッリーノ県のタウラージのアリアニ
コが最も有名だが、質的にはアリアニコ・デル・ヴルトゥレはタウ
ラージと同等、南イタリアワインの双璧と言って良い。2003年のガ
ンベロロッソ誌でも「赤の平均的な質がこれほど高い州はほとんど
ない」「いくつかの畑がヨーロッパで最も標高の高いものに数えら
れる秀逸なテロワール」などと、現在そして未来への質的上昇を熱
狂的に論じている。
新星テヌータ・レ・クエルチェ社
訪ねたワイナリーはDOC南部のバリーレ地区にあるテヌータ・レ
・クエルチェ。ここ数年イタリアソムリエ協会、ガンベロロッソ誌
などから高く評価されている。20世紀初頭に創業したダンジェロ
やパテルノステル社がジリカータにおける近代醸造のパイオニア的
な存在とすると、テヌータ・レ・クエルチェは駆け出しの新人。
1996年にオーナーのピエトラフェーザ氏が起こしたワイナリーだ。
因みに2003ガンベロロッソ誌で3つグラスを獲得したDOC地区最
南部リオネーロ・イン・ヴルトゥレ地区のカンティーネ・デル・
ノタイオや中央部ヴェノーザ地区のテッレ・デッリ・ズヴェーヴィ
も90年代後半に興した新参ワイナリー。地味な地域に思われがち
だが新しい動きは目覚しい。
レ・クエルチェのエノロゴはレオナルド・ヴァレンティ氏、専属の
アグロノモ(栽培担当者)はクラウディオ・サンティーニ氏ですべて
の醸造スタッフはミラノ大学卒の北部人だ。イタリア醸造界はイタ
リアの社会現象と逆行し、北部の人間が南部に向っている。
しかしオーナーのピエトラフェーザ氏は土地の人。「私はポテンツァ出身
で建築家でした。といっても主に道路の整備が専門でしたが。代々
家庭消費ワインを造ってきたのですが、ワイン好きが高じてサッソ
社の株主になり、96年に全てを買収して社名も「テヌータ・レ・ク
エルチェ」に改めました。
60haに及ぶ自社畑のうち、見捨てられていた区画や樹齢の古い区画
を全て植え替え、密植度は5000本/ha、樹の仕立てもコルドーネ・スペ
ロナート式を採用した。「畑の質を高める」という近代醸造の基本
を創立からわずか2年で構築。96年、97年は試作、98年ヴィンテー
ジを2000年に初リリースした。そして3年前から120にも及ぶアリア
ニコクローンの試験栽培を始めた。
「自社畑の葡萄だけ、それもアリアニコ種だけのワインを造り、そ
の上クローン実験に大きな投資するワイナリーはこの地域では珍し
いでしょうね」と、細身で物静かな初老のピエトラフェーザ氏が皺
枯れた細い声で話す。
畑の案内はゴルフカートだ。若い愛妻カルラさんが私の右、氏が左
でカートを運転し私は二人に挟まれた格好だ。

デッラ・コローナ畑に立つピエトラフェーザ夫妻
右後方に見えるのがヴルトゥレ山
太陽は燦燦というより大地を焼け尽くす寸前といった熱さを感じる
のだが、風がすさまじく、不思議な爽快感がある。ただ耳元で話さ
ないとお互いが聞き取れないほど風の音は激しい。
「これほど風の強い日は珍しいですが、風は常に吹いています。
だから葡萄の病気は楽観できるんのです。農薬も最低限で済ま
せられます」。
強烈な光線は、吹きすさぶ風に揺れて肌を刺す瞬間に角が取れるの
だろうか。なんだがワインにおける酸味とグリセリンの関係に似て
いる。湿度が低く、風が強いと陽光がこれほどさわやかに感じられ
るものか。
畑では伸びた新梢を切り揃えるシマトゥーラの作業が進められているが
アリアニコの葉とまだヴレイゾンを迎えていない緑色の小さな房も
満足げで、小刻みに不規則な動きで踊っている。まるで凱旋王を熱狂
的に迎える民衆達のようだ。
「ここがデッラ・コローナ畑です」。
ピエトラフェーザ氏の沈着なトーンの声で指された畑に何気なく目を
移すとそのなだらかな優しい傾斜とヴルトゥレ山の借景が美しく、思
わず息をのむ。
「我々は三つのアリアニコを生産しますが、ここは唯一のクリュワイ
ンの畑です。」
三つのワインとは、「イル・ヴィオラ」(年間15万本生産)、バリック
18ヶ月熟成の「ロッソ・ディ・コスタンツァ」(年間5万本生産)。そ
して単一畑「ヴィーニャ・デッラ・コローナ」(ガンベロロッソ誌で3
グラス選定のファイナルに残った色付2グラス、ルーカ・マローニは
84点)。
畑を見るとその秀逸性は歴然としている。南西から南向きに流れる傾斜
、低く仕立てられた35年樹。
「一株から二房しか収穫しません。年間生産本数は6000本です。40日間
のマセレーションを経て、全てバリックの新樽で18ヶ月間熟成させま
す。瓶熟は8ヶ月です。」
自信の表情が、私の「国際的なスタイルですね」という問いかけで、
さっと訝しげな顔に変わった。「国際的?そうかな。私はそうは思いま
せんが、まあ後でいっしょにテイスティングしましょう」
樽熟成庫に案内される。王冠の畑の真下に30mの凝灰岩質土壌を掘
ってつくり上げた見事なセラーである。

デッラ・コローナ畑の真下に掘った地下セラー
ではバトナージュの作業中
バトナージュ作業の真っ最中で、20代前半と思われる青年が大きなチェ
ーンの連なりをバリック中央の小穴からスルスル挿入したかと思うとギ
ーギー、ガシャ・ガシャとけたたましい音で攪拌作業を始める。
外は風、中はチェーンの音。会話はいつも耳元で大声だ。
バトナージュのタイミングをサンティーニ氏に尋ねる。
小柄でずんぐり、実に愛嬌のある風貌、ミラノ訛りがきついがとても丁寧
で精力的に答えてくれる。
「我々のワインはすべてフィルターにかけません。また収穫時期の異なっ
た畑ごとに樽詰しますので、酵母の活動がバリックごとにまちまちです。
バトナージュは、週に2,3回行います。タイミングは香りのレベルが変わ
ったとき、つまり軽い感じ、還元的な香りや炭酸ガスを感じたときです。
それが強ければ強いほどバトナージュの時間を長くします。樽ごとの香り
も違いますが、時間の経過とともに面白いぐらい香りが変わります。
一ヶ月前は洋ナシの香り、その前はキャラメルの香りでした。樽の中の
穏やかな酸化で、バトナージュの回数は熟成と共に減っていきます」
「さあ、どうぞ」と樽詰から半年ほど経ったヴィーニャ・デッラ・コロ
ーナのグラスが私に手渡された。
色は薄暗いセラーなので分からない。香りは閉じた中にも確かな果実味
がある。酸もタンニンもその尖り方が尋常ではないが、熟成中のワインと
しては、ストラクチャーがすでに出来つつあり、潜在能力の高さが十二分
に伝わってくる。
それにしても浮いたバリック香が微塵も感じられないのは何故だろう。
「違った産地のオーク、違う樽業者を5.6社使い、トーストの加減も変え
ています。青いタンニンを出すような樽は今後使用しません。現在もまだ
実験段階です。今テイスティングしているのは比較的軽いトーストのも
のです。
でもなによりも葡萄そのものの果実の力がオーク樽に勝っています」。
ワインテイスティング、そして秘蔵の新しい土着葡萄
来るときに道に迷い約束の時間を大幅に過ぎたので、お昼の時間帯
になってしまった。
「ランチをいっしょに軽く食べながらテイスティングしましょう」
とピエトラフェーザ氏が有無を言わさず別邸に案内してくれる。
南部の典型的なサラミであるソプレッサータや、フライパンで焼き
上げたスカモルツァチーズ、バジリカータの名産ピーマン、ペペロ
ー二・クルスキのソテーなど素材の味がたっぷり凝縮されたシンプ
ルな料理がテーブルに並んでのワインテイスティングとなった。
「イル・ヴィオー2000」は半分を小樽熟成、半分をステンレス熟成
させたアリアニコ・デル・ヴルトゥレ。
この蔵ののスタンダードワインだが、既に風格が漂い、それが何に
よるものなのかを理解するのにはそう時間はかからない。
果実味の酸味、ミネラル感とタンニンが非常にバランス良く収まっ
ており、特に酸とミネラル感が全体の味わいを引き出している。
オーク樽を中途半端に使ったワインにありがちなロースト香が微塵
もない。
しかしこの酸は南部のワインには不釣合いだ。
「アリアニコの収穫は10月中旬から11月。ネッビオーロの時期
に非常に似ています。色がそれほど濃くなく、酸味、タンニンが強
くミネラルもしっかりしているので、アリアニコ・デル・ヴルトゥ
レはバローロと比較されます。アルコール分が前面に出たプーリア
ワインとは一線を画しています」
控えめな口調で氏が自らのワインを評価する。
次に「ロッソ・ディ・コンスタンツァ2000」。ブラックチェリーや
スグリの香りとミネラル香が交じり合い大きな将来性を感じさせる。
味わいは、酸、タンニン共に綺麗で繊細、多少棘があるがボディー
ふくよかさを害するものではなく熟成に必要な要素である。
そしてヴィーニャ・デッラ・コローナ2000」。
濃いルビー色。フルーツ、花、スパイス、ミネラルが整然と収った香
り。酸の美味さ、タンニンの密度、そしてこの背骨となる要素にしっ
かりとしたアルコール感ががっちり結びついている。
南部ワインに多く見られる荒削りな部分も奇の衒ったところも感じら
れない。私は畑での国際的スタイルに関する話をを思い出し、
「おどろきました。これほどまでにエレガントなアリアニコは初め
てです。畑での仕事が歪められることなくワインに表現されています」
とピエトラフェーザ氏に言うと、彼は満足げに頷いた。
ピエトラフェーザ氏が
「実はまだリリースされていない新しいワインがあります。タムッロ
という品種なのですが、クラウディオ(サンティーニ氏)と周辺農村へ
出かけた際に偶然見つけたもので数年の試作を経て来年リリースの予
定です。試されますか?」
ときた。すでに良い気分になっている私が断るはずもない。
おそらくアリアニコのセカンドラヴェル程度と高を括っていたらがと
んでもなかった。ヴィーニャ・デッラ・コローナと同じボルドーグラス
に注がれたそのワインの色は、ヴィーニャ・デッラ・コローナより深い。
香りも味わいもヴィーニャ・デッラ・コローナに全く引けを取らずむし
ろボディーのふくらみは優れている。この潜在力はすごい。これはすぐ
に南イタリアを代表するワインになると思った。
標高500mを越す丘陵地にオリーブ畑とブドウ畑が適度に配置され、
その緑は限りなく緑、その空の青は限りなく青、風は容赦なく吹き、
葡萄の新梢を面白いほど躍らせる。
乾いた空気のせいだろう、すべての色がきらめいてくっきりと見える
バジリカータには、何事もが過不足なく存在している。
貧困のレッテルを貼られる州にあって、食べ物はすべてが素材の味わい
だけで感動的なほど美味しく、町々の個性は豊か。
視界に入るものがすべて余計な装飾を排した自然を濃厚に感じさせて
くれる。
これ以上人生に何を求めようか。

コローナ(王冠)が彫られた石柱
ローマ時代のものだ
雑草に覆われたデッラ・コローナ畑の石柱が”素朴さの中にある贅沢”を
物静かに語っているようにみえた。
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